「間断なく心に課する」……..

[本文より]

 

「もう苦しんでどうしようもないような、そんなときにひらめく稲妻のような、一条の弱々しい、幽かな、貧しい街の夜の光のようなもの。(…)そうしたものに心を寄せることを、間断なく心に課する、課するっていうのは「言偏に果てる」と書きますね、そういう、心にその荷を負わせる、責任を負わせる、そうしたことに、「詩」は存在しているのだろうと思います。」

 

 

 

 

 

 

ポラロイドの光に閉じこめられて

「ぼくは結論を出した。あの慢性的な意気消沈は、本来の自分であること、自分が何者であるかを知ることを遮られているために生ずるのだ。(…)ぼくは身を引き離すことを、やめたのだと思う。そのひとときが教えてくれたのは、この大地とその過去に所属することには、美しさがある、ということだ。たとえその過去が、謎と禁止の鍵をかけられ、語られず、そのためにきみが注ぎこめるすべての情熱をもってしても手の届かないものであろうとも。(…)どの土地のどのすばらしい山でも、それを歌った詩人は、だれもがそのことを知っている。きみにも、わかってほしいと思う。きみに、ひとつの土地を祈ろう。」(ギャレット・ホンゴー、管啓次郎訳『ヴォルケイノ』)

 

 

根と翼は相補的なものかもしれない、そう最近ふと思った。

根付くと翼が欲しいと思う、飛翔すると根付きへの羨望がよぎる。

 

お米一粒の甘い、温かな記憶

歯を、ではなく歯とともにとも言えるような、とても小さく繊細な感覚で、一本一本ゆっくり磨いていくこと。身体の一つ一つの部位、筋肉、関節、筋、内臓とゆっくり対話しながら、身体を日々柔らかな流れに導いていくこと。瞑想10分。緊張のない姿勢のまま、頭をめぐりくる念頭や、外界から来る様々な刺激や感覚を、まるで川床の石になったような気分で、流れさせたままにしておく。

 

また雨の音だ。雨音を聞くと、心は穏やかに静まる。不安定に流れ続けるものだけが、安らぎを与えてくれるみたいに。

 

茶葉蛋をゆっくりと味わう。

「一日に玄米四号と、味噌と少しの野菜を食べ、、、、」

舌の基底の記憶。舌には様々な記憶の層がある。それでも奥底にあるのは、白米一粒の、甘く、温かな記憶だ。幸福の、深い記憶。

 

劇的なプロットは何もいらない。ただこの幸福がそばにあり、そしてそれをきょうゆうできる僅かな人さえいれば、それでいい、そう思える静かで、少し仄暗い、雨模様の朝。

 

 

 

 

饐えた匂い

少し時間が空いてしまったけれど。

不安定な天気が続き、雷や大雨が来たかと思うと、あっという間に太陽が照りつけ始め、地上のものをじりじりと灼きつくしていく。そんなこんなで、鮮やかな赤い花びらをつけた鳳凰木や、真っ黄色の阿勃勒が咲き乱れる。

心は不安定な日々が続く。なかなか色々なことが定まらない日々だ。蝶になる前の蛹のように、膨大なエネルギーを帯電し、激しい緊張のなかを彷徨う。静止状態の疾走。待望と時の奔流。きっと蛹には豊潤な準備期間、サナトリアムがある。それに反して、蝶に変化する瞬間は、本当に一瞬の間しか与えられていない。吐き気を催すような疾さで突然やってくる。のっしりと、駆けだしていく。

 

数週間前から、蝉の声がし始めた。夏の知らせ。どこにいても、蝉の声が鳴り始めると、「生きている」という感覚が胸いっぱいに広がる。愛玉のように透き通った季節だ。

 

皮膚が灼熱の陽を浴びれば浴びるほど、氷山の稜は鋭く光り、尖る。心の襞を突き破ってせせり出す狂気の牙。

 

「かがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ」(宮沢賢治)